海外で展示の顛末

畝見 達夫

2005年12月14-17日。イタリアの ミラノ工科大学で開催された Generative Art Conference 2005 で大胆にもインスタレーションの展示を試みた。 いろいろなノウハウを得たので、ここに記録しておくことにした。 もしか何かの参考になれば幸いである。

展示用の機材

展示したのは チューリヒ大人工知能研究室Daniel Bisig 君 とのコラボレーションで作成した 群れオーケストラ の展示会版である。必要機材は、パソコン (PowerMac G5)、プロジェクタ、 60インチ リアプロジェクションスクリーン、ステレオスピーカシステム+αである。 スクリーンを置く机は現地で借りることにした。さて、これらをどうやって運ぶか。 まず、チューリヒ大からはパソコンとプロジェクタを借りることになった。 あとのスクリーンとスピーカをこちらから運ぶ必要がある。さらに プロジェクタはランプ切れの恐れもあるので、当方の研究室からも持ち出すことにした。 運送業者に頼むという選択肢も可能だが、 料金と荷造り(特に現地での撤収時)の手間を心配して持参することにした。 ということは、エコノミークラスのチェックイン手荷物の重量制限 20kg以内に納めなければならない。と心配していたが、量ってみると20kgより少し軽い。 もう1つの問題はスピーカシステムの電源が100Vなこと。プロジェクタは100-240V対応で、 プラグのアダプタさえ用意すれば、イタリアでもそのまま使える。 スピーカの消費電力を考え100Wクラスの海外旅行用ダウントランスというやつを購入した。 重量1kg。もしかするとあるかもしれない米国などでの展示にも使える入力電圧 115-240V 対応の製品を選択した。

移動手段の選択

成田からチューリヒまで往復の航空券を確保すべく、格安航空券を探したが、 どうも日程に合うものが見当たらない。 何度か利用したことのある大韓航空 のソウル−チューリヒ便は週2回の運航で 今回の日程では使えない。航空会社のサイトをチェックしてみると、 直行便は安い切符は売り切れてしまい、20万以上の切符しかない。 欧州系航空会社をいろいろ当たったところ、 エールフランスに10万円のが空いていた。 パリでの暴動さわぎのせいで客が減ったのかなぁなどと勘ぐりながら、 Sky Team のマイルを勘定しつつ、パリ経由チューリヒ往復の e-ticket を予約した。

それで、チューリヒからミラノまではどうするか。 荷物がなければ鉄道を利用するのが便利なのだが、20kg 以上の荷物を担いで乗り降りするのは やはり避けたい。ヨーロッパの鉄道のバリアフリー化はそれほど進んでいないし。。。 若干コストはかかるが、レンタカーを借りてアルプス越えをすることにした。 これまた、ネットで主なカーレンタルの会社をあさってみる。 1週間借りてもっともお得な会社を選択。 2人乗って荷物の大きさを考えると1.6l の5ドアというのがちょうど良さそう。 当初、ダニエル君の運転を期待したのだが、なんと彼は運転免許を持ってないらしい。 天候と右側通行が心配になり、ネットで検索してみたが有益な情報はあまりない。 唯一、ミラノ市内は危ないので運転しない方が良いという情報が心配の種を増やしただけであった。 実際どうだったかは後に述べることにしよう。

通関用の書類の準備

いつもの海外出張だと、持ち物は身の回りの品物+発表資料(ノートパソコンやポスターを含む) くらいで、特に通関(税関を通すこと)では一般の観光客と同じくお土産が免税範囲を 越えていないかどうかだけ気にすれば良い。しかし、今回は展示用の機材を持ち運ぶことになる。 これはただでは済むまいと思い、いろいろネットで検索した結果、 展示や興行などで一時的に海外に機材を持ち出す場合には ATAカルネ なるものを持参するのが適当であることがわかった。 発給手数料は必要だが、税関で中身をいろいろ調べられた上に多額の税金を 支払わせられるということがなくなるようである。 このATAカルネなるものは、日本では日本商工会議所から委託を受けた 日本商事仲裁協会なる社団法人が取り扱っている。 早速、発給申請書類をネットで請求する と、日本商事仲裁協会大阪事務所からすぐに郵送されてきた。 丁寧な書き方の説明とパンフレットも同封されている。 名義人が法人の場合と個人の場合で記入方法が若干違うようだ。 大学の事務局に法人として発給を受けたことがあるかどうか聞いてみたが、 担当らしい人からは不明な返事?しか帰ってこない。面倒なので、個人名義で申請することにした。 発給申請書と総合物品表を作成する。このうち名義人氏名住所、使用者、物品用途、総合物品表の 英文の部分は発給される書類にコピーされるので、パソコンで作成し、用紙に直接プリントした。 この手の位置合わせには当方はいつもスキャナ+イラストレータで対応している。 最近のプリンタは用紙の位置決め精度がかなり良いのでほぼ問題なく所定欄に納めることができる。 必要書類を揃え、実印を押して今度は東京事務所宛に郵送した。 すると、次の日、早速東京事務所の担当者から電話がかかってきて、 4日後には発給可能であるという。受け取り方法として着払いの宅配便か、 または、事務所の窓口に名義人(あるいは委任された代理人)が出向くかを選択できる。 初めてなので、説明を聞いた方が良かろうと思い、日比谷の事務所まで出向くことにした。 実際に事務所に出かけたのは発給日の1週間後、出発の前の週の金曜日だった。 事務所は地下鉄日比谷駅を降りて3分くらいのビルの中にある。 思ったよりコンパクトである。入って奥の方がカルネの受付。 当方の他に2人ほど来訪者がいたが、すぐに係の方(美人!)が対応してくれた。 しばらく待って、手数料+担保措置料 17,800円也を支払いカルネを渡された。 A4サイズの緑、黄色、白、青の紙が何枚か綴られたものがカルネである。 表には発給申請書類に記入した英文の一部がコピーされている。 また中の何枚かの裏面には総合物品表がコピーされている。 使い方の説明を丁寧にしてくれる。 海外の係官がときどき書き方とか間違えるので注意してくださいとのこと。 この忠告は後で納得させられることになる。

国外運転免許証の取得

スイスとイタリアで車を運転するためのライセンスはどうかというと、 「国外運転免許証」を取得すれば問題はない。 日本の運転免許証を持っていれば、比較的容易にもらうことができる。 国際免許ということばを聞くことがあるが、「国外運転免許証」が正しいらしい。 この免許証が有効なのは「ジュネーブ条約加盟国」に限るということだが、 ジュネーブはスイスにあるのに、スイスはこの条約加盟国ではない。 ということは、スイスでは無効かというと、そんなことはなく、 スイスでは本国の免許証があればよろしいらしい。 ただし、日本の免許証には日本語の記述しかないので、 現地の警察官には、それが運転免許証であるかどうか判断できない。 それでは意味がないので、正式な翻訳が必要ということらしい。 それで、国外運転免許証はまさにそれに該当するということでOK。

申請場所は住所によって決まっている。当方の場合、多摩地区に住んでいるので、 立川署で申請できる。これがまたラッキーなことに当方の通勤経路の途中にある。 受付時刻は平日8:30-11:30と13:00-16:30。 運転免許証とパスポートを持参する。5cm×4cmサイズの写真も必要だが、 これは、受付入り口右側にある無人撮影ブースで、 貼り紙の指示に従って操作すればその場で簡単に用意できる。 必要書類を準備し受付にもっていくと、10分くらいで発行された。 発行の手数料は 2,650円也。有効期間は発行日から1年間固定。

成田空港まで車で機材を運ぶ

成田空港の出発が月曜昼の12:50ということで、 土曜日に大学(八王子です)で荷物を車に積み込み、 月曜の朝7:40に自宅(小平市です)を出発した。朝の通勤時間帯である。 やや渋滞はあったものの、 国立府中IC→高井戸→三宅坂JCT→江戸橋JCT→辰巳JCT→千鳥町→東関東自動車道と通って10:15には酒々井SAに到着。 うどんを食べてから、予約しておいた格安民間駐車場に電話。 車は第1ターミナルの出発階前で受け渡し。 料金 3,750円也は車を預けるときに現金払いである。 長さ1.3mの黒いケースに入ったスクリーンが外から見るとかなり不審物っぽい。 空港入り口の検問で中を調べられるかと思ったが、係の人が窓から中を覗いただけで、 期待に反してすんなり通過できた。 機材を車から下ろし、カートに積み替えて出発ロビーへ。

成田空港の税関で一時輸出の手続き

国際空港内の税関窓口はセキュリティチェックと出国手続きの間、 つまりチェックインした後でないとたどり着けない場所にある。 しかし、通関する荷物はチェックイン時に預ける必要があるため、 税関にたどり着いたときには手元にない。とすると、 税関の職員はどうやって荷物が申告通りであることを確かめるのであろうか? と余計な心配をしなくても成田空港にはすばらしいソリューションが用意されていた。 出発ロビー内のセキュリティチェックへの入り口の左側あたりにインターフォンがあり、 ATAカルネを持っている人はそのインターフォンで税関職員を呼び出す仕組みになっているのだ。 ということを知ったのはカルネを受け取った日本商事仲裁協会東京事務所の窓口近くの掲示を見たからだった。 窓口に出向かず宅配で受け取っていたら右往左往したかもしれない。 インターフォンでATAカルネを持参している旨を伝えると、数分で係の方が現れた。 荷物のうちの1つを開けさせて、総合物品表にあるどの物品かを確認したあと、 「では、セキュリティチェックを通った後で税関窓口に寄って下さい」とのことで、 カルネはそのまま持っていってしまった。 エールフランスのチェックイン窓口で e-ticket の e-mail のコピーとパスポートを見せ、 スクリーンとスピーカシステムとプロジェクタの入ったスーツケースを預けて、ボーディングパスを受 け取った。 念のため、「精密な電子機器が入っているので取り扱いに注意して頂けると有り難いのですが」と言ってみたが、 「すいません、取り扱い注意といったような目印は付けないことになっております」という返事。 ここで一瞬、エールフランスにしたことを悔いたが、結果は後にあるとおり。 セキュリティチェックも無難に通過し、先ほど言われたとおり税関の窓口へ。 一時輸出の黄色の書類1枚をカルネの綴りから切り離し、控えを書き込んだものを受け取って 一時輸出の手続きは完了。出国手続きの後、免税店でお土産の和菓子を買うなどしながら搭乗時刻を待った。

チューリヒ空港で一時輸入の手続き

パリでやや小さめの飛行機に乗り換え、チューリヒに到着したのは現地時刻午後8時半。 入国審査の後、預けてあった荷物を受け取り、カートに乗せて税関の申告窓口へ。 ATAカルネを見せると、品物は何ですかとか聞かれただけで荷物の確認は特になく、 白い用紙の一時輸入の部分を切り離し控えを記録してもらって手続き終了。

チューリヒ空港でレンタカーを借りる

成田に比べると空港自体が小さく、乗ってきた飛行機も小さいので、着陸してから到着ロビーに出るまでの 時間が短い。到着ロビーのATMで国際キャッシュカードを使ってスイスフランを引き出し、しばらくうろうろ しているとダニエル君が現れた。早速、予約しておいたカーレンタル会社の窓口へ。 保険とかイタリアで必要になるかもしれない安全ジャケットとかを追加し、このさい面倒だからガソリンも プリペイドにして結局1週間で7万円くらい。冬装備も込み。借りた車はプジョー206 STW,1.6 l, 5ドア。 もちろん5速マニュアル。ヨーロッパではマニュアル車が標準ということで、いつもオートマ車に乗っている 当方としてはクラッチに慣れるまでやや面倒。しかも右側通行で左ハンドル。案の定、早速ウィンカーの代わりに ワイパーを動かしてしまい「雨降ってないよ」とダニエル君に言われる始末。のろのろと空港を出た。 右側通行の異次元の世界を時差ぼけの頭で運転しているのだから危険きわまりない。 ちなみに日本との時差は8時間。車を借りたのは現地午後9時頃だから日本時間では午前5時ということになる。 車を運転しないダニエル君にナビゲーションを期待してもしょうがないので、ここはなんとか自力で ホテルにたどり着きたいところだったが、 やはり道を間違えた。それでも一度Uターンしただけでなんとかホテルにたどり着いた。 チェックインの後、車でチューリヒ大学へ行き、荷物を研究室に下ろした。

機材の動作チェック

チューリヒに到着した次の日は、機材の動作チェックを行なった。 と、スクリーンをケースから出してみると、なんと壊れている。いやな予感が的中した。 割れてしまったプラスチックの部分を強力瞬間接着剤で固め、なんとか修理に成功。 動作確認も問題なく完了。 スピーカシステムへの電源供給もダウントランス経由で正常に行われている。

チューリヒ大学からイタリアへ

相棒のダニエル君は夜更かしの朝寝坊でいつも研究室には午後2時にならないと現れないらしい。 ミラノの会場では午後6時からレセプションが開かれる予定だから、チューリヒを午前中には出発したい。 11時出発を目標に10時半に研究室で落ち合う約束をした。 しかし、案の定ダニエル君は遅れて現れた。一応、ミシュランのホームページで道順は調べてあったが、 ダニエル君のナビゲーションはどんなもんかと不安を隠せないまま、念のため Mapquest でも調べて プリントアウトを持参することにした。アルプス越えはサンゴッタルドトンネルをくぐるコースである。 チューリヒ市内を貫通するハイウェイはまだ完成しておらず、キャンパスが町の北側にあるため、 チューリヒの町を縦断してインターまで行くことになる。実は、インターに乗るまでのコースは5年前に 運転した経験があったので、さほど問題はなかった。とにかく、ネットで調べたとおりの道順で南をめざした。 チューリヒを離れてしばらくいくと一般道の大きな Roundabout (いわゆるロータリー)がある。 日本では珍しいが、ヨーロッパでは結構多い。ロータリー内優先で、右側通行のヨーロッパ大陸部では 反時計回り。つまり、ロータリーに入るときに右折で合流し、離れるときも右折で分岐する。 ロータリー内を走っている車を見て右折すべきことは判断できたのだが、 左側に注意を払わなければならないことを一瞬忘れて、ロータリー進入時に慌てて急ブレーキを踏んでしまった。 おっと危ない。ロータリーを走っていた他車も思わず急ブレーキ。すいません。幸い大事に至らなかったが、 ちょっと怖い思いをした。気をつけましょう。天候は曇り。美しい湖の畔を経由し山は雲で見えなかったが、 ハイウェイの運転は快適であった。ちなみにこのコースの制限速度はおおむね100km/hで日本の高速道路なみである。 途中、サービスエリアで休憩し昼食。スイスのハイウェイは有料だが全線一括年間前払い。通過用のステッカーを フロントガラスに貼る。スイス国内で借りるレンタカーにはすべてこのステッカーが貼ってあり、 改めてお金を払う必要はない。 サンゴッタルドトンネルは、片側1車線の対面通行。完成当時の関越トンネルか恵那山トンネルのような感じである。 心配した雪もなく、無難にトンネルを通過すると、いっぺんに天候が晴れに変わりまぶしい太陽の光が フロントガラスから差し込んだ。山もよく見える。スイスのイタリア語圏ティツィーノである。

スイス/イタリア国境

ユネスコ国際遺産のベリンツォーナや湖畔の町ルガノを通過すると、 まもなくイタリアとの国境の町キアッソにさしかかる。国境の検問所は一般車と大型貨物、 バスなどにコースが分かれている。 ほとんどの一般車はパスポートを係官に見せる程度でそのまま通過していく。 ときどき止められてトランクを開けさせられるようだが、ランダムに選んでいるのか、 何か基準があるのかは不明。 我々はカルネがあるので、検問所の駐車スペースに車を止め、まずはスイスの出国手続き。 当方の場合はスイスからの再輸出、ダニエル君は一時輸出の手続きとなる。 これも特にこちらから申告しなければ、そのまま通過できてしまいそうな感じではあったが。。。 国境の検問所では基本的に入国の審査が行われるだけである。つまり、スイスからイタリアへ入る通路には イタリアの係官が通過する車をチェックしている。 ということで、スイスの税関窓口はイタリアからスイスへ入る通路の側にある。 スイスに入国する車をチェックしている係の人に税関の入り口を尋ねてようやく場所が分かった。 係の人にカルネを提示して必要手続きをおこなってもらう。ここで、 よおくみていると、係のおじさん、どうも間違った用紙に記入し切り離してしまったようである。 返却されたカルネを見ると、再輸出 REEXPORTATION と書かれた用紙を切り離すべきところが、 1枚とばして輸入 IMPORTATION と書かれた用紙が使われてしまったのだ。 それを指摘すると、おじさん、あわてず、自分が切り離した用紙の IMPORTATION の文字の上に線を引き、 REEXPORTATION と書き込んだ。同様にカルネの綴りに残っていた用紙の REEXPORTATION を IMPORTATION に修正して、返してきた。ここでも荷物の確認はとくになし。 まぁこんなもんでいいのかと思いつつ、イタリア側の税関に向かった。 スイスの人が間違ったと告げつつカルネを渡すと、こちらの方も特に慌てる様子もなく、 書類を作成。大きな台帳になにやら書き込んでいる。輸送手段の欄に車のナンバーを書くように言われ、 慌てて車を確認し、記入。日本でもらった記入例にも by Car from ○○ とだけ書けばいいようになっていたし、 スイス側ではそんなこと言われなかったんだけど。ここを見る限り、イタリア側の方がきっちりしている感じだった。 でも、ここでも荷物のチェックは全くなし。

ミラノでの運転

イタリアに入って制限速度は130km/h。ただ、交通量が徐々に増えてきて流れは 110km/h 程度である。 しばらく行くと霧が出てきた。だんだん濃くなる。やばい。道路の行き先表示が直前まで来ないと見えない。 ダニエル君と2人で表示が見えるたびに叫びながらなんとかミラノ中央方面へ。 イタリアのハイウェイ料金は途中の料金所で区間毎の定額料金を払う仕組み。既に何年も前から日本のETCのように 遠隔で料金を徴収するシステムが稼働しており、料金所も、 このテレパスとカードと現金の3種類にゲートが分かれている。 現金払いは一番右側。去年の出張のときに余っていたユーロのコインを取り出し支払い。 料金所を2回通った後、ミラノ市内に突入。時間も午後4時半を過ぎ徐々に暗くなってきた。 ハイウェイを降りると夕方のラッシュにぶつかったか渋滞である。しかも、信号のない交差点で両側渋滞。 途中、道を間違えてしまい反対方向に走ってしまった。ガソリンスタンドで道を聞くが、 ややこしくて、説明困難。とにかく暗号のような説明のとおりに進んでみると、なるほど説明困難な理由がわかった。 たくさんの分岐と合流が複雑に入り組んでいる。でも、どこを通っても向きさえ間違えなければ行ける道だった。 徐々に町中に入っていく。いったいどの辺にいるのか検討もつかない。途中、もう一度車を止めて、バールの おじさんに聞いてみる。するとそのまま真っすぐ行けばよいとのこと。ほっと一安心して直進。 ミラノ中央駅の下をくぐってしばらく行くと例のロータリーだ。ここで 出口を1本間違えた。 ロータリーから出る道路も太さが様々。中央分離帯のある道路を挟んだりすると、ロータリーを回っているうちに 数え間違えてしまう。まわりの風景でそのことに気づき、車を止めて、あたりを見渡す。 これが大変。ミラノの町中の大きな通りはほとんど縦列駐車でびったし。しかも、どうやって出るんだと 心配になるくらい車間が詰まっている。結局、会場に着いたのは午後7時半。レセプションのおつまみは ほぼ消えてしまっていた。

日曜日に撤収

会議は土曜日の夜に全日程を終了した。 日曜日に撤収ということになったが、問題は日曜日に大学にアクセスする方法である。 主催者のソッドゥ教授も日曜日の朝に後片付けを行うというので、時間を合わせて車で会場に向かった。 さすがに日曜の朝は道もすいている。昨日の晩まであんなに車でいっぱいだった大学周辺の通りも、 ほとんど駐車している車がない。おかげで会場に最も近い道路に駐車できた。 建物に入ろうとすると、思ったとおり扉がしまっている。幸い、ソッドゥ教授たちが先に中に入って我々を 待っていてくれたおかげで、係の人が鍵を開けておいてくれた。しかし、日曜日のため、鍵を管理する人が1人しか おらず、複数箇所を一度に開けておく訳にはいかないらしい。 面倒だがすべての機材をドアからドアへ1ステップずつ移動し、車に積み込んだ。 基本的に日曜はすべて休みなわけですよ。

再びイタリア/スイス国境

東京なら冬の日曜日の朝、スキー場へ向かう高速道路は渋滞する。 ミラノでも同じことが起こるのかと思ったら全然違っていた。 イタリア人は日帰りで100kmも離れたスキー場にいくなどという忙しないことはしないらしい。 アルプス越えの長距離トラックもすべて休み。来たときとは打って変わって道路は空いており、 あっというまにハイウェイにのってミラノから脱出。10時頃会場を出発して11:30ころには国境に到着した。 ここでまたカルネの手続きである。今度はスイスへの入国のコースで駐車し、まず、イタリア側の税関へ。 車のナンバーも忘れずに記入し、再輸出の手続きは終了。続いて、スイス側の税関で一輸入手続き。 ダニエル君は黄色い用紙で再輸入の手続きである。ここでも荷物の中身のチェックは一切なし。

チューリヒ大経由空港へ

途中でガソリンが半分以下になったので念のため 10リッターだけ 給油した。 セルフで給油し、スタンドの番号を告げて料金を支払う方式である。 ガソリン代はスイスの方がイタリアより少々安いようである。価格はほぼ日本並み。 ついでにレストランで昼食を食べた。支払いはユーロでも受け付けてくれる。 行きに反対車線を見たときはたくさんの大型トラックが列をなしてとろとろ走っていた。 しかし今日は日曜日。トラックはまったく走っていない。 渋滞もなく順調に峠を登っていく。サンゴタルドトンネルをくぐるとそこは雪国。 天候は曇り。きちんと除雪されており路面は若干ぬれてはいるもののスリップの心配はなさそうである。 時速を80km程度に落として峠を降りていく。帰りはとにかく道路標示にしたがってチューリヒを めざそうということで走っていくと、どうも来たときと道が違う。 確かフェアバルトシュテッテ湖の東側の一般道を通ってきたはずなのに、 西岸のハイウェイを走っている。まぁいいかということで、ルツェルン経由でチューリヒへ向かう。 ハイウェイは途中でおしまいになり一般道へ。再び魔のロータリー。 チューリヒはこっちという標識に従ってロータリーから出ようとしたとき、 左側の反対車線に入りそうになってしまった。気をつけましょう。これまた来たときと違う道である。 まぁとにかく川沿いの一般道を道なりに進むとチューリッヒ市内に入った。 ハイウェイより一般道の方がやはり緊張する。でもチューリヒ市内の運転はミラノより全然楽である。 スイスの信号機はちょっと変わっている。雪国仕様の縦長信号機である点は特に珍しくないが、 信号が赤から青に変わる前に一旦黄色の表示が出る。つまり、赤と黄色が両方点灯した状態になる。 先頭の車はそこでアクセルを踏みクラッチをつなぎにかかる。日本だと、そのかわりに交差している道路の 方の信号機を覗いているドライバーも少なくないようだが、スイスではそんなことしなくてもよい。 ちゃんと目の前の信号が、もうじき青ですよと教えてくれるのである。

チューリヒ空港で再輸出の手続き

Rental Car Return の標識に従って走っていくと車を借りた空港の駐車場に到着する。 荷物をカートに積み替え、係の人にキーを返却。レシートは今必要か、後で郵送でもよいか、 と聞くので、後で送ってもらうことにした。総走行距離約640km。 ガソリンはまだ1/3くらい残っていた。 さて、ここで成田空港を出発した ときと同じ問題を解かなければならない。 チェックインする前に税関にアクセス方法は? インフォーメーションデスクのおばさんに聞いてみたが分からない。 エールフランスのチェックインカウンターで聞いてみることにした。 ここでまた説明が面倒。ダニエル君の助けを借りてようやくこちらの事情が伝わった。 結局のところ税関はパスポートコントロールを通ったあとにあるので、 一応チェックインして、荷物をもって一旦パスポートコントロールを通過し、 税関窓口へ行ってからまた入国用のパスポートコントロールを通って、こんどは 荷物をチェックインするという面倒な手順になった。 多分、成田でインタフォーンをかけたのと同じような方法がありそうに思うのだが、 チェックインカウンターのお兄さんは知らかったんでしょう多分。 チューリヒ空港は成田と違い、出発ロビーからいきなり出国用の パスポートコントロールを通る。税関はそのすぐ右側にあった。 Zollen と書かれている。でもだれもいない。しばらく覗いていると、後ろから話かけられた。 係の人がちょうど戻ってきたのである。 カルネを見せて手続きを行う。ここでも、荷物の中身のチェックはなし。 当然だが、出国してすぐ入国するような人は滅多にいない。 出国用パスポートコントロールの係の人に、荷物をチェックインするので 通してくれと頼んでみたが、当たり前だけど、ここは出口ではない。 入国用のゲートに回ってくれという。あっちへいって階段を降りろというので、 そっちへまわる。思い荷物を持っての移動は大変だった。 パスポートコントロールで、荷物を預けるために一時的にチェックインカウンターに行くと告げると、 ボーディングパスを見せろというので、見せるとすんなり通してくれた。 またエスカレータを上って、出発ロビーへ。無事、荷物を預けてようやく今度は本当の出国。

成田空港で再輸入の手続き

パリで乗り換え成田へ。パリを夜、出発する便はJALとの共同運行便である。 そのせいかどうか、来たときとうってかわって機内はほぼ満席。 到着は翌日の夜。入国審査を終え、預けた荷物を受け取ると、また、いやな予感。 スクリーンがまた壊れている。エールフランスのデスクで「なにかして頂けることはありませんか」 とだめもとで聞いてみる。すると、保証はできませんが保険をお掛けでしたら証明書を書きます。 というので一応書いてもらった。こ ういうことは時々あるらしく、ちゃんとフォームが用意されていた。 税関の申告ありのカウンターに向かうと 「ATAカルネ」と手書きでかかれた紙が貼ってあるカウンターがあるが 係官はだれもいない。カウンターを覗き込んでいると、 少し離れたところにいた係官が向こうへ行くよう合図するので、 緑のカウンターに行ってみる。ATAカルネを持っている旨を伝えると、 係のお兄さんは、さっきの紙がはってあったところへ行って下さいといいつつ大きな声で 「カルネ一件です」と叫んだ。かようにカルネは珍しいもののようである。 まもなくカルネの係の人が来た。成田を発つときにインターフォンのところへ来てくれた お姉さんだった。ここでは1つの荷物をあけて、総合物品表のどれに当たるかをチェックした。 すべてをチェックされることはなかった。日本、スイス、イタリアの税関を通ったが結局のところ、 中身をチェックしたのは、成田空港だけであった。 車を預けておいた民間駐車場に電話すると、既に出発ロビー前で待っているという。 到着ロビー前の道路は一部工事中で車の受け渡しは出発階でということだった。 カートから荷物を車に積み替え、ここは日本、左側通行といい聞かせつつ、 来たときと逆の経路を辿って自宅に帰った。

クレジットカード付帯保険

翌日、クレジットカードの付帯旅行傷害保険で破損した携行品の修理費が だせるかどうかカード会社の担当窓口に電話してみた。結果は却下。 曰く付帯保険は個人の持ち物だけに有効で大学の備品には使えないという。 カードは個人のものだからそれももっともな話かなぁと思い、納得してしまったが。

カルネを返却

カルネは返却する必要がある。 簡易書留にて日本商事仲裁協会東京事務所カルネ事業部宛に郵送した。 数日後に受領書が郵送されてきて完了。
2005年12月31日作成
2006年1月14日修正