進化する成長システムと生態系 畝見 達夫 創価大学工学部情報システム学科講師 〒192 東京都八王子市丹木町 1-236, TEL: 0426-91-9429, FAX: 0426-91-9325, Email: unemi@iss.soka.ac.jp 兼 国際ファジィ工学研究所客員研究員 〒231 横浜市中区山下町 89-1 シィベルヘグナービル 3階, TEL: 045-212-8231, FAX: 045-212-8255, Email: unemi@fuzzy.or.jp 1. はじめに 高等生物の体は多くの細胞の集まりからなる。これは、ひとつの細胞である受精 卵が分裂と膨張と死滅を繰り返した結果である。結果的にどのような体に成長す るかは、細胞内に含まれる遺伝情報と周囲の環境条件によって決定される。体を 構成するひとつひとつの細胞は、どれも同じ遺伝子を持っている。にもかかわらず、 内臓、皮膚、骨、といったさまざまな組織が出来上がるのは、それぞれの細胞が 自己の内部状態と周囲の状況から、次の成長の方法を決めているからである。 人工生命研究の1つの方法論として、実際の生物に見られる適応機能を計算機に よってシミュレートし、複雑系の発生を再現するというアプローチがある。多細 胞生物の形態形成の進化のモデルも、その1つといってよい。発達の形式モデル、 つまり、生物個体の成長過程を数学的に記述する方法としてはリンデンマイヤが 提案したエル・システム (L-system) が有名である。この手法は成長の過程をシ ミュレートするコンピュータプログラムを作成する際にも有用で、主に植物の成 長過程のモデルとして CG にも多く応用されている。(たとえば[1]。) このよう な発達の形式モデルにおける状態遷移規則、すなわち、どのように次の細胞分裂 を行なうかを決めるルールを遺伝子に書き込み、成長の結果として出来上がる体 の形、すなわち、発現形態に対して個体の適応度を決める。言い替えれば、遺伝 子の善し悪しは、成長したあとの個体の形で決まる。適応度に従った淘汰、つま り、適応度の比較的高い個体の遺伝子は生き残り、低い個体の遺伝子は死滅する こと、および、生き残った遺伝子を突然変異と交叉によって新たな遺伝子に書き 換えることによって、世代交代を行ない遺伝子集団を進化させる。ここで紹介す るシミュレーションは、そのような発達システムの進化に対する人工生命側から の挑戦の1つである。 2. 成長の物理モデル ここでの個体の成長の場は2次元ユークリッド空間である。現実の生物は3次元の 広がりをもつ空間に存在するわけだが、まず、単純なモデルから出発するために、 2次元の世界、つまり平面の世界を考える。ここで紹介するモデルの細胞はすべ て一定の大きさの円であり他と重なることもないし、移動することもない。実際 の生物の細胞は、大きさも形も様々で、自由に移動するものもあれば、隣接する 細胞と接着されているものもある。また、変形もする。しかし、これらの物理的 性質をすべてシミュレートするには、現在の計算機パワーは貧弱過ぎる。また、 プログラミングも大変である。多くのセル構造オートマトンで用いられるような 格子状に区切られたチェス盤世界に比べれば、連続なユークリッド空間としただ けでも、大きな変革と見ていただきたい。 2次元ユークリッド空間上の近傍領域 を効率良く探索するために、データの管理方法に工夫が施されている。チェス盤 世界と比較してプログラミング上は大変な労力を要しているのである。 そもそも、連続的な状態の空間的広がりをもつ物理世界をシミュレートすること 自体、ディジタル計算機にとっては不得意な分野の1つなのである。水道の蛇口 を開くと流しに水が流れ、排水口から出ていく。こんな単純な現象も、厳密にシ ミュレートするのは困難である。近似的なシミュレーションは、スーパコンピュー タを駆使すれば可能だが、それでも現実の現象と同じ時間で再現するのは困難で ある。もちろんソフトウェアの柔軟性の面では、物理模型よりもコンピュータの 方が優れており、コンピュータの性能向上とともに、物理模型はコンピュータに 代えられつつあるが、生物の進化という極めて長期間にわたる現象を、その基底 を支える物理世界から精密に積み上げるには、現在のコンピュータは貧弱過ぎる のである。モデルの目的は、対象のすべての様相を正確に再現することにあるの ではなく、目的の機能をできるだけ損なわない程度に他の部分を省略することで、 注目したい特徴に焦点を合わせることにある。人工生命のための物理モデルも、 できるだけ、生命の特徴を再現できる範囲をさぐりながらも、現在のコンピュー タの能力に合わせ、適当なレベルに設定せざるを得ない。 3. 成長のアルゴリズム 当モデルでは、細胞は分裂と膨張により増えるのではなく、既存の細胞が隣接す る子供細胞を作り出すことによって増殖する。1つの計算ステップに各々の細胞 が1つの子供細胞を作ろうとする。 図1 細胞分裂のプロセス 分裂によって新たに誕生する子供細胞の位置と状態は、(1) 親細胞自身の状態、 (2) 隣接する領域に既に存在する他の細胞の配置、(3) 遺伝子、の3つの情報か ら決定される。各計算ステップにおいて、個々の細胞は9通りの状態のうちの1 つを自身の状態する。このうちの8状態は、増殖状態で、残りの1つは停止状態で ある。停止状態にある細胞は子供細胞も作らないし、自身の状態を変えることも ない。増殖状態にある細胞は、図1のように、周囲の領域を前後左右の4つの扇型 に分割し、それぞれの領域に他の細胞の中心が含まれるかどうかを観察する。各 細胞には向きがあり、前後左右は個々の細胞自身を中心とする相対的な位置であ る。1つでも含まれていれば1、1つも含まれていなければ0とし、4領域を合わせ て4ビットの数とする。つまり、周囲の状態は 2^4=16 とおりある。遺伝子は、 増殖状態8とおりと周囲の状態16とおりの組合せ、つまり 8×16=128 とおりの場 合について、子供細胞の位置と状態を決める整数を引き出す「表」の形式をとる。 つまり、図2のように、状態を表す整数値によって表の位置を決め、その項目に 書いてある16ビットの数値を引き出す。この16ビットの内、位置を決める相対角 度に8ビット、子供細胞の状態に4ビット、分裂後の親細胞の状態に4ビットを使 う。つまり有効な情報は合計で (8+4+4)×128=2048ビットである。状態は4ビッ トの整数 0から15の内0から7までを増殖状態、8から15までを停止状態とする。 このようなある種の無駄を含んだ遺伝子表現は、プログラミング上の都合もある が、同時に、次に述べる遺伝操作に大きな影響を与える。図1にあるように、子 供細胞は親細胞にお尻を向けて接した状態になるものとする。ただし、作ろうと した子供細胞が、既に存在する他の細胞と領域的に重なる場合には、子供細胞は 作らず、親細胞の内部状態を変更するだけである。 図2 遺伝子の形式 以上のようなアルゴリズムに従うと、様々な形態を生成することができる。具体 例は次節以降にある。以下の節では3種類の異なった条件設定でのシミュレーション について紹介する。 4. 形態進化のアルゴリズム まずは、個体の形態の進化を見るため、成長過程での個体間の相互作用がない状 況を設定した。つまり、それぞれの個体は1つの細胞から、他の個体からの干渉 を一切受けずに成長する。進化は一般的な遺伝的アルゴリズム[2]と同様に、つ ぎのような手順に従う。 1. 初期集団であるN個の遺伝子を乱数で初期化する。 2. 個体毎に成長させ、表現型を作り、その適応度を計算する。 3. 適応度に応じて遺伝操作を行ない、次の世代の遺伝子集団を作る。 4. 2 へもどる。 世代交代のための遺伝操作は、つぎのようなものである。 1. 集団の中で適応度の高い方から1/3はそのまま残す。 2. 次に適応度の高い1/3の個体を、それ自身と、適応度の高い方から 1/3の個 体との交叉結果で置き換える。 3. 適応度の低い方から1/3の個体を、高い方から1/3の個体のそれぞれを突然変 異させたもので置き換える。 これは、ある意味では極端なエリート主義戦略、つまり、しばしば遺伝的アルゴ リズムの工学的な応用で用いられる方法、相対的に優秀なものは次の世代にも、 そのまま生き残る戦略と見ることもできる。 ここで用いた適応度は「40ステップ以内に成長が停止した個体のうち、細胞数の 多い方が適応度が高い」というものである。成長が停止しなかった個体には、全 て一律に低い適応度を割り当てる。このような適応度評価を用いた結果、一般に は巻き貝のような形が発生した。図3に、いくつかのシミュレーション結果を示 す。シミュレーションでは1世代に含まれる個体の数は36としている。体の成長 を止めるには、1つには細胞を前節で説明した停止状態(状態を表す整数が8以上) にする。あるいは、既に存在する他の細胞によって分裂を阻止する必要がある。 巻き貝風の形は、後者の方法によって成長を停止させるうまい方法なのである。 巻き貝の向きが右巻きになるか左巻きになるかは偶然にきまる。渦巻の数や枝の 出来方も様々である。多くのシミュレーション結果を観察して言えることは、 渦巻の戦略にも種類があるということである。大きく分けてつぎの3種類があると 思われる。 1. 小さな渦巻の枝をたくさん出す。 2. 大きな渦巻の内側にたくさんの枝を出す。 3. 細かい枝が生える大きな渦巻の枝を出す。 もちろん、これらの組合せもある。途中で淘汰される形態の中には、昆虫のよう に6本の足をもつものや、ヒトデのような星型のものも観察され、見ていて飽き ることがない。 なお、このシミュレーションによる画像は、 A-Life World 「人工生命の美学」 展[3]に参考出品された。 5. 生態系の試み I - 寿命が有限な細胞群 進化による複雑系の発生という「人工生命」らしいテーマについて考えるならば、 前節で用いたような恣意的な適応度評価には、どこか無理があるように感じられ る。実際の生物界に複雑化をもたらした要因の1つは、個体間の相互作用、つま り生態系の存在にある。前節で紹介したシミュレーションでは、それぞれの個体 を独立に成長させたが、複数の個体を同じ空間上で成長させ、個体同士が衝突す る可能性を持たせたらどうなるだろうか。 本節では、そのような設定の1つとして、個々の細胞に一定の寿命を与え、明示 的な選択機構を与えない場合のシミュレーションについて紹介する。全ての個体 は同一の2次元空間上に配置される。空間はトーラス、つまり、ドーナツの表面 のように画面の上下、および、左右の境界線が継っている。初期配置はランダム に与える。個々の細胞は寿命が尽きると死滅する。遺伝子は子供細胞を作る度に ある確率で突然変異を起こす。 このような設定では、成長が速く、突然変異に対して頑健なものほど有利になる。 図4に寿命を50ステップとしたときの実行例を示す。 個体間の相互作用という意味での生態系を採り入れることが、このシミュレーショ ンの当初の目的であったが、結果的に細胞の集合体としての個体の独自性が薄く なってしまい、多細胞生物の発達システムというよりは、単細胞生物の増殖と呼 ぶほうがふさわしい結果となった。実際、生物学においても、種によっては個体 の区別があいまいなものも多い。典型的な例はカビやキノコの類である。また、 竹やスギナのように地下茎で継った群落を形成するものも地上に見える部分だけ からは、どこまでが1つの個体かという区別はできない。動物の場合には、神経 系や循環器系で継った1つのまとまりを個体と見なすのが普通であるが、蟻や蜜 蜂のように1つの巣が1つ個体であるかのように機能するものもある。このように 「個体」という概念に正確な定義を与えることは難しい。あるいは、観察者がど う見るかという認識論の問題に結び付けて考えた方が適切かも知れない。 次節では、個体の独自性を失わずに生態系を導入するための設定の例を紹介する。 6. 生態系の試み II -- 種での越冬 生物進化における適応度は、繁殖成功率によって決まる。つまり、いくつの子孫 を残せたかによって適応度が決まるのであって、適応度によって子孫を残せる数 か決まるのではない。適応度というのは、あくまでも、進化の結果を観察した後 に説明を与えるための仮想的な概念に過ぎないのである。繁殖成功率は、繁殖で きる成体にまで成長できる確率と、1個の成体が一生の内に産める子孫の個体数 で決まる。 ここでは一年生草本のような生物を考える。つまり、春、種から成長を始め、秋 に種を残して枯れる。残された種は翌年の春に再び芽を出し成長をする。細胞の 状態の種類として種状態を1つ追加し、種状態の細胞だけが冬を越すことができ、 その他のすべての細胞は枯死することとする。ただし、個体の大きさ、すなわち、 個体を構成する細胞の個数に比例して、残せる種の数に制約をつける。つまり、 十分に成長できなかった個体は、いくら多くの種を作ったとしても、それら全て が発芽できるわけではない。また、突然変異は全ての細胞分裂ではなく種の生成 のときにだけ起きる可能性があるものとする。この設定は、繁殖成功率に基づく 自然選択のモデルとしても不自然ではない。 図5に実行例を示す。大きく成長できても、種が実らない個体は淘汰される。多 数の同種の個体からなる群落の生成が観察できる。シミュレーション結果を観察 して言えることは、繁殖力は、1個体が残せる種の数だけで決まるのではなく、 いかに広い範囲に種を分散できるかという点にも強く依存するということである。 いくら多くの種を残せても、それらが元の種の付近に密集していたのでは、次の 世代の個体が成長するための空間的余裕がなくなり、結局、繁殖力は弱くなる。 現実の植物では枝を伸ばしたり、風や虫の力を借りて種を遠くへ飛ばす。動物で は、個体が自ら移動することで居住領域を拡張する。人間が冒険を好み、未踏地 の探検にあこがれを持つのも、こんなところから来ているのかもしれない。 図3 シミュレーション画面の例 図4 シミュレーション画面の例 -- 寿命が有限な細胞群 図5 シミュレーション画面の例 -- 種での越冬 7. これはCGアートか このようなシミュレーションの画像をCGアートとして見るとどうだろう。古代に おける芸術では、作品が観賞者の心に何かを呼び起こすことに中心が置かれ、作 者の人格表現という位置付けは薄かったものと考えられる。そこには作者名は登 場しない。しかし、時代を経るに従って、作者が何らかの意図をもって作品をつ くりあげ、観賞する人々に意図を伝える手段とするという役割が徐々に大きくな り、作者の人格が前面に出る作品ほど大きな評価を得るようになる。作品には必 ず作者名が明示され、作風が取り沙汰された。 現代、このようなあり方に対抗する1つの方向としてインタラクティブアートが ある。作者あるいは作品と観賞者との共同作業によって作品が変化する、あるい は、観賞者が参加する芸術である。いわゆる、A-Life アートの中でも、リチャー ド・ドーキンスのブラインド・ウォッチメーカ[4]のような人為選択による遺伝 的アルゴリズムを用い、品種改良によって作品を作っていくという手法が、カー ル・シムズ[5]やウィリアム・レイサム[6]の手で試みられ、最近では、同様のソ フトウェアが、 UNIX ワークステーションや Windows マシン上で開発されてお り[7,8]、これらの普及は、芸術のあり方に何らかの変化をもたらすものと思わ れる。生物の発生と進化の仕組みを真似たインタラクティブアートが A-Life の 中である程度の地位を占めていることも事実である。 しかし、上に紹介したシミュレーションは、インタラクティブアートではない。 仕掛けとしてのコンピュータプログラムを実行するだけで画面上に様々な面白い パターンが発生し、見る人に、芸術作品に接したときのような心の変化を呼び起 こすのである。フラクタル図形、たとえば、マンデルブロ集合に近いような気も するが、その複雑さと多様性は桁違いである。人工生命は人工であるにもかかわ らず、作者である人間の予想を越える複雑さを実現する。それは、あくまでも人 工物ではあるが、作者が意図に忠実に従う作品ではない。はたして、これは芸術 であろうか。見る人の心を動かす人工物と見れば芸術の資格も備えてはいるが、 作者の意図を伝えるものではない。その意味では、作者個人に注目した近代の芸 術のスタイルではなく、古代の作者のいない芸術に近いのかもしれない。作者の いない複雑なもので見る人の心を動かすのもには、自然の風景がある。海岸、渓 流、火山などいわゆる景勝地の景色は自然の芸術とも言われるように、芸術的側 面をもつが、しかし人工物ではない以上、芸術ではない。人工生命のシミュレー ション結果が芸術かどうか、ここで結論を出すのは早計である。しかし、自然の 風景を撮影した写真が芸術として成り立つなら、作者はだれかという問題を別に すれば、人工生命も芸術であるといって良いのではないだろうか。 8. おわりに ここで紹介したモデルは、いずれもシミュレーションを行なったに留まっており、 進化に関する解析は今後の課題として山積みされたままである。この研究に科学 的貢献を期待するなら、それらの解析を早急に進める必要があろう。シミュレー ション結果に関する解析としては、系統樹、遺伝子頻度の変化、表現型の特徴に 基づく分類、などが考えられ、現実の生物の進化を説明するための何らかの貢献 も期待できる。 ビデオアートの材料としては、3D化などの拡張方向も考えられる。実は、この原稿 の準備中にも3D化の試みは進行中である。本として出版されるころには3次元ユーク リッド空間上に様々な人工生命体が出現しているかもしれない。 参考文献 [1] Lindenmayer, A. and P. Prusinkiewicz: Developmental Models of Multicellular Organisms: A Computer Graphics Perspective, in C. G. Langton (ed.), Artificial Life, Addison-Wesley (1989) [2] Goldberg, D. E.: Genetic algorithms in search, optimization and machine learning, Addison-Wesley (1989) [3] 畝見 達夫 : 2次元ユークリッド空間上の単純な発達システムの進化, A-Life WORLD 「人工生命の美学」展, 1993.~6.~23 -- 8.~30, 東京国際美術館 T-BRAIN CLUB (1993) [4] Dawkins, R.: Blind Watchmaker, Longman (1986) [5] Sims, K.: Artificial Evolution for Computer Graphics, Computer Graphics, Vol.25, No.4, pp.319-328 (July 1991) [6] Tood, S. and W. Latham: Evolutionary Art and Computers, Academic Press (1992) [7] 畝見 達夫: 模擬育種法とその応用, セミナー「遺伝アルゴリズム/ニューラルネット/ ファジィの新しい展開を探る」テキスト, システム制御情報学会, pp.101-110 (September and October 1993) [8] Davis, H.: imogene (private communication)