うねみたつおのいろいろ


趣味

最近はあまりやってないけど、 Jazz と鉄道が好きです。


JAZZ

中学3年の頃からはまりこんだ。1970年、大阪万博があった年だ。 NHK FM で毎週やっていた Jazz フラッシュとか、その後はじまった FM Tokyo の Aspect in Jazz などを聞いた。特に児山さんと油井さんの 最新情報の解説が好きだった。 Quincy Jones / Smack Water Jack (A&M)、 Miroslav Vitous / Infinite Search (Atlantic)、 Zawinul, Shorter, Vitous / Weather Report (CBS)、 Miles Davis / On the Corner (CBS) などが当時のお気に入り。 高校2年の時だったか Chick Corea / Return to Forever が出て、 ちょっと浮気してしまったが、ラジオ放送をテープに取っただけで LP は買わなかった。

その後はせっせと 60-70's Miles Family をあれこれ聞いた。 高校3年から大学3年にかけて、音楽は JAZZ しか聞かなかったために、 そのころ巷で流行った歌謡曲はまったく知らない。 研究の合間に大岡山の Girl Talk にいったり、 渡辺貞夫, Gil Evans, などのコンサートにも出かけた。 高校3年と大学1年のときに何度か土曜の午後 NHK 浦和放送局に遊びにいった。 一応 DJ の公開放送でだれでも遊びにいけるようになっていたが、 JAZZ の日に行く人はほどんとおらず、自分といっしょに行った友人しか いないことが多かった。ラジオのDJに自分のハガキを読んでもらうなどということは、 高校生にとって結構刺激的なことだが、浦和のNHKのJAZZの日はまったくの穴場だった。 クイズに答えて Herbie Hancock / Head Hunters を貰ったこともある。

何故か、金子マリ & Bucks Bunny が気にいった。基本的に Blues とか R&B が 好きなのであろう。

金子マリとは全然違うが、Paul Bley、Annette Peacock から入って、 83年ごろから Carla Bley & Michael Mantler の WATT に凝りだし、 JCOA の Tropic Appetite も含め WATT の LP を結構集めた。 87年以後のいくぶんファンキーなものよりも、変拍子かつ リズミックな感じのものが私の好みである。

最近は残念ながらほとんど聞いてない。Jazz メーリングリストに設立時から 入れてもらっているが、もう10年ぐらい ROP である。 その Jazz メーリングリストも2002年7月1日に幕を閉じた。 7月1日といえば確か「JUNET の日」でもある。

2000年の4月から9月まで在外研究の機会を得て、半年間ほどスイスの チューリヒ大学の人工知能研究室にお世話になった。 そこの学生たち、特にドイツ系の人たちが盛んに Techno music なるもの を聞いている。キャンパスでは春にダンスパーティー、チューリヒ市内では 夏に、これはもうほとんど気違い沙汰としか思えない町中終日クラブ状態の 催しに遭遇した。最初は単調でつまらない音楽としか思えなかった Techno (Euro beat) だが、この経験でもしかしたらいいかもしれないと思うように なってしまった。

チューリヒから戻ってから、早速 MIDI と QuickTime Music のプログラミングの 勉強をした。それ以来、音楽応用ソフトに研究に片足はまっている。


鉄道

小学校5年生のときに祖父から HOゲージのキットを買ってもらってから、 鉄道模型に凝りだした。 当時、住んでいた石川県内灘町には金沢から 北陸鉄道浅野川線が通じており、 電車は日常の中にあった。親戚も金石と鶴来にあり、どちらも北鉄の沿線だった。 金石線 は今は廃止されている。更に、父が外国航路の船員だったので、就学前には 年に何度か母、姉と一緒に父の船が着いた港まで列車で面会に出かけた。 キハ82系の特急白鳥に乗ったことだけはなぜかよく覚えている。 小学生のときはよく広小路の北陸模型に部品を買いに出かけた。

中学、高校ではペーパーで 157系EC、35系DC、10系PC などを作った。 国分寺北口の模型屋とか三鷹のトリオ商会に部品を買いに行った。 中学高校は東京の創価学園の寮に住んでいたため、夏、冬、春の休みには 内灘の実家まで帰省した。最初はおとなしく急行能登とか、急行白山、 新幹線こだま+急行ゆのくに、などを利用したが、そのうち、 大垣行き夜行緩行を使って、金沢まで全て緩行で行ったり、 アルプス+大糸線+しらゆきとか、佐渡+北越などという変則的な乗り継ぎを よくやった。 当時は特急が少なく、一般には長距離は急行を利用することが多かった。

大学では東工大鉄道研究部に入り、模型、写真、旅行などを楽しんだ。 二子玉川の「いさみや」で部品調達をした。 ちょうど SL が減りだした頃で、1年生のときの夏の合宿は山陰線の 宇田郷に行った。2年のときは篠の井線、信越線、長野原線方面、 3年のときは、紀勢線、紀伊勝浦、和歌山方面だったと記憶している。 帰省時の寄り道はますますエスカレートし、急行ばんだい+磐越線+急行しらゆき とか、急行ばんだい+只見線+急行佐渡+信越線北陸線緩行+北陸線快速 とか、ドリーム号+近鉄ビスタカー+京阪テレビカー+京津線+東海道緩行+ 急行兼六とか、いろいろやった。 米原から近江鉄道で貴生川まで行き、草津線、関西線で名古屋に出たり、 大阪から阪急+山陽鉄道で姫路まで行き、播丹線+山陰線+小浜線で敦賀にでたり もした。関西の私鉄にいろいろ乗ったあと京都からのドリーム号に乗り遅れて 臨時の銀河でどうにか東京へもどったこともあった。 大学3年春休みの制御工学科工場見学旅行では、 急行アルプス+飯田線緩行+名鉄+近鉄+南海(工場まで)+新幹線+呉線+ 芸備線+山陰線+宮津線+小浜線+北陸線で実家まで行った。 こいうのを1枚キップの乗車券を作ってもらった。

最近、息子に実家にあった HO ゲージの模型の一部をやろうと 思ったが、今の自宅ではレールを敷くスペースがなく、 実家に遊びにいったときに使うということになってしまった。 これは少々淋しい気分。

旅行も家族で出かけるときは車、出張も新幹線か飛行機が多い。 たまに、無謀にも夜行を使うこともあるが、 以前のようにわざわざ遠回りすることはなくなってしまった。


振り返ってみると、結婚してからほとんどやってませんね。