岸 延幸・講演内容
日本人のルーツの謎
− DNAが語るあなたのルーツ −
岸 延幸 | 埼玉県 川口市 北川口本部
日本モトローラ(株)半導体 研究開発本部 担当部長 |
〈略歴〉 |
1956年入信 76年東京工業大学 大学院修士卒 物理情報工学専攻、
半導体のウエハー工場のプロセス・デバイス技術者として勤務、
88-91年 米国アリゾナ州のモトローラ半導体工場に勤務、97年より現職
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(この文章は埼玉県学術部主催の'98夏期大学講座の内容の要約に、加筆したものです)
テーマ:500万年におよぶ人類進化の歴史の中で、アフリカで誕生した人類の祖先が、いかなる道筋を通って日本人の祖先集団の形成にいたったのかについて、最近の遺伝子工学の成果を使って解明する。また日本人が持っている遺伝的、人種的特殊性がどのように形成されてきたのか、我々の個性の観点から話してみたい。
概要
- 日本人の44%はお酒に弱い − 酒に弱い遺伝子は北方アジア人特有のもので、南方系アジア人、白人、黒人にはない。
- 二重瞼と福耳は南方アジア系の遺伝子か?北方系アジア人は寒さに適応して、眼を寒さから守るため瞼の脂肪が厚くなり、一重瞼が生まれた。耳は表面積を少なくするために小さくなった。
- 前歯の裏側が凹んでいる人(北方系)と平らな人(南方系) − アジア人には2種類ある
- Gm血清型による分類で、人類は白人(コーカソイド)、黒人(ネグロイド)、黄色人(モンゴロイド)、新黄色人(北方系アジア人)の4種に大別できる(白人、黒人も細かく分類できる)。
- ミトコンドリアDNAによる分類で、日本人は2重構造になっていることがわかった。1つは縄文人に特有な型で、現代のアイヌ人、沖縄人、南方のアジア人に共通する。もう一つは弥生人に特有の型で、北方系のアジア人に共通する。この2つの祖先集団が混血し、固有の進化をして現代日本人になったと考えられる。
- ミトコンドリアDNA、および他の遺伝子の突然変異の確率から、各人種が別れた時期を計算できる。これによると、もともと黒人しかいなかった人類の祖先から、15万−12万年前に白人と黄色人の共通の祖先が分かれた。考古学的には10万年ほど前に現代人の祖先がアフリカから脱出した。その後6万年ほど前に白人と黄色人の祖先集団が分かれ、ヨーロッパに移動したグループは、クロマニヨン人を経て、寒冷で日照の少ない気候に適応して現代の白人になった。アジアに移動したグループは温暖で多湿な気候に適応して南アジア全域に展開した。現代の南方系黄色人の祖先である。黄色人は次第に北に移動したが、その一部は3万年程前にモンゴル−シベリア地域にまで生活圏を広げた。最終氷河期に氷河が発達して元のグループと遮断され、バイカル湖の周辺で、寒冷地に適応した北方系アジア人に進化した。アルコールに弱い遺伝子、一重瞼、前歯の内側が窪んでいる、面長の顔、すらりとした長身など、それまでに無い特徴を持った。
北方系アジア人は気候の変動に伴って氷河期の終わり頃から移動を開始した。その1部は1万1千年前に、当時陸続きであったベーリング地峡を渡ってアメリカ大陸に渡り、北米、南米のインディアンになった。
- 一方南下した北方系アジア人の部族はモンゴル、旧満州、朝鮮半島、チベット等に移住したが、中国に王朝を作った部族も沢山ある。ジンギス汗の元、日清戦争の清も北方系の征服王朝である。中国では北にいくほど北方系アジア人の遺伝子が濃くなる。
日本列島に移住した弥生人は北方系アジア人の一支族で、朝鮮半島を経由して、北九州、山陰地方から日本列島に移住してきた。
- 日本で発見された最古の人骨は、沖縄の港川人で、1万8千年前。縄文時代以前であるがはっきりした縄文人の特徴を持っている。大型の頭骨、鼻が高く彫りの深い顔等。この時代の日本列島は中国大陸と地続きであったが、大陸の新石器時代人とは似ていなで、南方系アジア人のミクロネシア、ポリネシア人と似ており、さらに古い時代から、当時大陸と陸続きだった日本列島に移住していたと思われる。縄文文化の特徴は、自然とともに、平和的、美的探求である。装飾性重視の縄文土器、魚ではタイ、山では栗などグルメな食べ物、戦争で傷ついた人骨がない、などの例がある。
- 北方系のアジア人である弥生人は2千5百年前頃から、北九州に上陸し、日本に稲作、金属、馬等をもたらした。弥生人は縄文人と混血しながら東進した。弥生人の勢力の中心が大和朝廷を成立させ、稲作を東北方面にまで広めた。北海道、沖縄地方には蝦夷、アイヌ等と呼ばれる、縄文人の比較的純粋な後裔が残った。縄文人は気候の寒冷化によって7万人程度まで激減したが、弥生人のもたらした稲の生産技術により、その後急速に人口が増えて、全体でおよそ60万人くらいまで急増した。
弥生文化の特徴は、合理性、技巧的、組織的、戦闘的な点である。余分な飾りを持たない弥生土器、集団で行う水田耕作、首を切られたり、矢尻が沢山刺さった人骨、くにを中心とする政治組織、敵から村を守るための環濠集落、等の例がある。
日本人は縄文人の特徴と弥生人の特徴を受け継ぎながら、独自の発展をして独特の日本文化を作り出してきた。
- 遺伝子と個性(まとめ)
我々が自分の個性だと思っている顔の形、外見上の様々な特徴、例えば足が長い、鼻が高い、二重瞼、耳の形等々はほとんど遺伝子によって決定されており、また酒に強い、禿頭、汗かき、近視等の基本的性質も遺伝子によって決まっている。これら遺伝子は人類の長い進化の過程で縄文人、弥生人を経て我々に受け継がれているわけである。全ての遺伝子はその存在意義があり、人類が環境に適応して進化していく上で必要性があり、淘汰されて生き残ってきた形質である。環境の変化に対して新しい突然変異の遺伝子が生まれ、淘汰されて、それが人類の新しい財産になっていくことで、進化が進んできた。また劣性だった遺伝子が環境の変化で優性に転化することで、適応していく場合もある。これら遺伝子の総和が人類の最大の財産であり、一個の人間における遺伝子の組み合わせが個性として現れてくる。
御義口伝 無量義経第二 量の字の事 にいわく、
「己が当体無作三身と沙汰するが本門事円三千の意なり、是れ即ち桜梅桃李の己己の当体を改めずして無作三身と開見すれば是即ち量の義なり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は無作三身の本主なり」
大聖人は自分の個性を花開かせていくことが無作三身であると言われ、また個性の集合体が無量の財産であると言われている。有難いことである。