八代 毅利・近況報告
町にジングルベルの音楽が鳴る師走となった。
この次期になるといつも平成5年12月25日を思い出す。
ごく普通の師走の夜だった。
会社から帰り家に着いたのが10時ごろだったかと思う。
当時出迎えのリース会社の審査部長から電話があった。
「ニュースを見たか」と言われ、「見ていない」と
答えたらH社の社長が東京国税局のロビーで割腹自殺
したことを知らされた。
私は、担当者として必死の債権回収を行っていた。必死でとびまわった。
その後12月になって更生法の適用は無理であると
判断され自己破産となった。
その直後の出来事である。
翌日会社にH社の社長から遺書が届いた。我々債権者に対するお詫びと国税
及び銀行に対するうらみつらみの言葉であった。
堅実で仕事一筋の社長であり、車はいつも軽乗用車に乗っていた。
株式公開によって一挙に膨大な資産が手に入り竜宮場のようだと言っていたが
バブル崩壊後、株式の落ち込みが激しくなり上記のような結果となった。
福運の切れた人生ほど恐ろしいものはないと感じた。